管理人の「おじさんの好きなFork&Jazzブログ」より再録
フォークの旅路(東京編)
(フォークの旅路について) 現在、団塊世代を中心に盛り上がりを見せる日本のフォークソングは、どのように生まれ、 |
以下ブログ再録分です。(一部加筆修正) CS歌謡ポップスチャンネル「フォークの旅路」を見る。(前編) MC;なぎらけんいち、森山愛子(民謡歌手) 今回は、武蔵野市吉祥寺。ゲストはシバ。シバさんが若林純夫氏や、高田渡さんと出会ったエピソードを紹介する。 1969年ごろシバさんが学生時代、井の頭公園で藤田真澄さんや若林純夫さんと出会う この出逢いがシバさんを音楽活動に引き込むことになる。 フォークの旅路一行は吉祥寺にボブディランの新譜をかけているジャズ喫茶店(タムタム)を探す。 喫茶タムタム跡地へ・・・今は某住宅になっている。 過去の話;出逢いの後シバさんは若林さんにフォークシンガーとして有名になっていた高田渡さんの居場所を聞き、 ヒッチハイクで京都に来たシバさん。下ろされた場所で、たまたま以前にシバさんのライブを聞いていた女の子から そして喫茶店の六曜社へ・・・高田渡さんと出会う。 その後、当時仕事のないシバさんは後述する「ぐわらん堂」の手伝いをすることになる。
そしてフォークの旅路一行は当時のフォークシンガーのたまり場、ライブハウス「ぐゎらん堂」跡地へ。 ここで伝説の「武蔵野タンポポ団」が結成される。 タンポポ団の結成の言いだしっぺは高田渡氏。中津川フォークジャンボリーのためのセッションバンドのようなもの。 当時シバさんが貧乏でたんぽぽをよく食べていたので・・というのは違うらしい。 当然シバさんも参加することになります。グループは2枚のアルバムを出します。 1971年の第3回中津川フォークジャンボリーでのライブです。 その後、各所でのライブの後、タンポポ団は、渡さんの解散しようという一言で終了してしまいます。 そして一行三人は現在も営業中のライブハウス「曼荼羅」へ・・。 ここでのシバさんの歌は渡さんのカバー「夜風のブルース」。 渡さんのアルバムとは違い(アルバムはたぶん細野さんのアレンジ)、なぎらさんとのギターデュオ。 そしてシバさんの素晴らしいブルースハープ。いいな。(吉祥寺;ライブハウス「曼荼羅」) ※シバ;フォークシンガー、ブルースハープ奏者、漫画家(一時期永島慎二氏に師事、アシスタントを経験) ※若林純夫;武蔵野タンポポ団の解散後は山本コータロー氏と「少年探偵団」を結成。 |
(後編) 引き続き曼荼羅ライブ 1)もしも(シバ) こちらは収録アルバム;青い空の日 (旅)今回は、前回のURCレコードに対抗する形で生まれたエレックレコード跡地へ。 2)バイバイブルース(シバ)
(曼荼羅にて、シバさんのソロ) 製作:IMAGICA.TV |